財政赤字や公的債務が世界最悪の水準
国際競争力、日本がトップ10から転落(http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20050928i114.htm)
日本は9位から12位に順位を下げたようです。WEFのコメントが非常に興味深いです。ぜひニュース読んでください。
世界という大枠から見て「最悪の水準」なのに、日本の国民でもその事実に気付いてなくて他国の支援ばっかり言ってる人が居ますよね。まあ、これも解決するには増税しかないわけですが。
国際競争力、日本がトップ10から転落(http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20050928i114.htm)
日本は9位から12位に順位を下げたようです。WEFのコメントが非常に興味深いです。ぜひニュース読んでください。
世界という大枠から見て「最悪の水準」なのに、日本の国民でもその事実に気付いてなくて他国の支援ばっかり言ってる人が居ますよね。まあ、これも解決するには増税しかないわけですが。
「明示」と「表示」≒「HTML」と「CSS」(http://lan.rgr.jp/diary/2005/09.xhtml#Twentyeight-Two)
HTMLは対象がプログラムですからプログラムが認識出来なければなりません。
ここが全てでしょう。
私は現時点では著作権の「公衆」の対象が人間だと思ってます。プログラムを対象だとは思ってません。もしかすると、この考えが既に古い考えであり、裁判所が時代にそった判例を出す可能性はありますが、まだまだ先の話だと思います。(既にそのような判例があれば、そのような指摘をお願いします。)
「明示」と「表示」は、「HTML」と「CSS」のように「構造」と「見栄え」として切り離して考えるべきです。示されている事が確認出来ればそれは明示となります。が、通常では「表示」されないだけです。
だとすると、引用の条件において「引用元を明示する」ではなく「引用元を示す」となるんじゃないのかと思います。それと、「明示=HTML=構造」と「表示=CSS=見栄え」の意味が全く分かりません。もっと詳しく解説をお願いします。
別の方法においてはその方法にそった引用を行えば良いと思いますと云う発言は閲覧する人によっては出典元が分からないケースがある状態を「明示」しているとは言えませんと云う主張と対立するものです。「ある方法」においては出典元が分からない場合がある訳で、それは閲覧する人によっては出典元が分からないケースに含まれます。
私の文章が悪くて伝わってないようですが、文章の引用であれば文章で示していれば問題がないでしょうという話であり、あえて違う手法を用いる意味が分からないということです。
ここまで説明は不要かもしれませんが、文章で書いてある情報を手に入れることができるのは、当然文章を読める人だけです。だから文章を引用したら、文章で引用元を書いておけば、何の問題もありません。文章を引用しておきながら、引用元の情報だけを音声で提供するというのでは、何故そのようなことをするのかという疑問が出てきます。
今回のcite属性の話に戻すと、その疑問に対しては、おそらく「W3Cの決定」と答えるのでしょうが(違ってたら指摘お願いします)、これを裁判所が認める根拠が示されていないという話をしてるんです。
公衆を対象とした条文ではないので、対象が公衆であると云うのは根本的にずれている気がします。
対象って言ってる意味が分からなくなりました。「公衆送信権」というぐらいですから、公衆へ送信する権利じゃないんですか?どういうことを対象とおっしゃってるのか、もっと詳しく教えてください。
会社の開発マシンにcoLinuxを導入しました。始め「Root FS Images - 2.4.x-based 」なDebianイメージをダウンロードして使ってたのですが、どうやらこれはcoLinux0.6.0用のイメージであり、私がインストールしたのはcoLinux0.6.2だったので、「Root FS Images - 2.6.x-based」でないとネットワーク接続ができませんでした。
ネットワーク以外は2.4.x-basedでも問題なく動作してたので、なんとか動作させようと頑張ったのですが、先にインストールを成功させてた会社の上司から「2.6.x-basedじゃないの?」と指摘されて、こっちに入れ替えたらあっさりでした。
自分用が確保できたので凄く嬉しいのですが、ネットワークがDHCP接続なんで毎回IP変わるんですよね…。固定IP欲しいなぁ、固定IPもらえないか明日聞いてみようっと。
http://souseiji.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_29ec.html#comments
認定を受けたのは↑ココです。記事内容と全く関係ないコメントなんで、タイトルは省いてます。
何故ブログアラシに認定されたかというのは、私がコメントしたブログの記事を見てもらうと早いのですがリンクはできません。怖くて。でも、記事は更新します。
やったことは、ホワイトバンドを「お金じゃないの気持ちの問題だよ(記憶の断片から再構成)」と断言してたので、ホワイトバンドにこめられた政治的なメッセージについては当然知ってるわけで、そうなるとODAの規模拡大というのを解決するには増税しかありえないので、「いくらぐらいの増税まで認めるか?」って尋ねるコメントを記述したんです。
そしたら、「何でも増税に結びつけるのは良くない」(記憶の断片から再構成)といわれたので、増税以外の素晴らしい考えを持ってるのかと思って、その考えを聞きだそうとしたらブログアラシに認定されました。
知りたかっただけなのになぁ。しょんぼり。
遅い反応(http://lan.rgr.jp/diary/2005/09.xhtml#Twentyseven-One)より
#なお、リンク先はIEでは開けないので別のブラウザを使ってください。
仮に「W3Cの言った事」が裁判所では根拠に乏しいのであれば、q要素、blockquote要素を用いた引用も「引用である事が明確ではない」と言えるでしょう。
確かにおっしゃるとおり、そうなると思います。ですから、文章で書いておけば問題がないと思います。文章を読む対象に対して文章で出典元を明示すれば良いのではないでしょうか?紙媒体の本などを読むと分かりますが、ハイパーリンクなんて機能はついてません。それでも引用条件は成り立ってるので、文章での記述は全く問題ないと解釈できます。
そう考えると、私の引用の仕方も若干問題がありそうです。(ここ書いた時点まではURLはリンクのみになってました。)というわけで、URLも記述しておきます。
考えさせられたのは、「~すれば確認できる」という状態を明示というのでしょうか?やっぱり、納得できる結論が出てきません。誰か「~すれば確認できる」という条件で明示が成り立った情報を持ってませんか?
なお、障害者の話が出てますが、障害者の方は別の方法(音声とか)で情報を仕入れると思われるので、別の方法においてはその方法にそった引用を行えば良いと思います。
著作権法と照らし合わせて合法・違法を判断するのは製作者対製作者の議論であって、閲覧者を根拠にするべきではありません。
ここに関しては、閲覧者を根拠としないと駄目でしょう。何故ならば、引用の条件という以前に、他人の著作物をWeb上で配信する行為が著作権23条の「公衆送信権等」を侵害してることになるからです。この場合、対象が公衆であることは明らかです。
そもそも出典の明示を閲覧出来なければならないと云う思想は何処から発生したのでしょうか。著作権法には、「閲覧者も分かるように出典を明示しなければならない」とは一言も書かれていません。
著作権法32条の「公正な慣行に合致するもの」が出典元の明示の条件に繋がってるようです。このあたりは慣例って奴みたいですね。(私も調べてみて初めて知りました)
私は、基本的にトラックバックに対して否定的な意見しか持ってないのですが、そんなトラックバックを色々と分類したり、スパム的トラックバックに対して敢然と立ち向かってる記事を読みました。とっても面白かったです。引用とかはしませんので、ぜひリンク先を読んでください。
そして、以下は私の感想です。
問題となってる検索トラックバックですが、トラックバックを単純な宣伝行為に使ったりするのは、トラックバックという技術だけに問題があるんじゃなくてアフィリエイトだったりGoogleAdsenseだったりと、個人のサイトへの多数のアクセス数をお金に変換する手法が一般的になってきたことと関連があります。現在では、「トラックバックを送る」ことと「金を稼ぐ」ことと密接に関連があるってことです。一旦お金が絡んでくると人間って、やりたい放題やりだします。
つまり、以前はスパムといえばほぼ100%エロ業者しかなかったわけですが、これはお金に変換する仕組みがあったからやってたわけで、それと全く同じことをエロ以外の業界でもやりだしただけってことになります。トラックバックの認知度がいくら上がったとしても、直接お金に変換する手法がなければ、今ほどの酷い現状にはならなかったでしょう。
そういう意味で、トラックバックはブログの中での位置付けを変更する時期にきています。例えば、以前は読んで面白かった記事にトラックバックが付いてたら読みに行ってましたが、今では行くことはありません。もし、同じ話題の記事を読みたいのならば、テクノラティで検索した方がよっぽど確実だということが分かってきたので、最近はそういう使い方をしてます。
だからといってトラックバック技術の全てを否定するつもりはありません。現在唯一と言っていい使い道が残ってるからです。その使い道とは、トラックバックボックス的な使い方であり、その使い方は面白い使い方です。今後もトラックバックボックスを利用した様々なアイデアが生まれてくることでしょう。
では、個人ブログでトラックバックはどのようにしていけば良いかというと、シーサーでは既に取り入れる予定みたいですが、そろそろトラックバック承認制を導入していかなければなりません。そうすると、「トラックバックによるアクセス数稼ぎ=お金稼ぎ」という構図が壊れてくるため、トラックバックで交わされる情報の質が向上します。
トラックバックをそんだけ貶してるくせに、何故「お前はトラックバックを受け付けてるんだ?」って言われそうですが、一部の悪質者のために全トラックバックを排除したくないんです。誰かにトラックバックをされた事を、私自身が知りたいという欲望があるわけです。
ああ、そういう意味では私にとってトラックバックとは、記事に「リンク」を付ける必要性なんて皆無なんですね。ここで貴方の記事に対して、なんか書きましたよってことを「記事の作者のみ」に知らせる手法さえあればいい。承認制が導入されるだけで、私の要求は満たされそうです。
プログラムを始めた頃は、物ができること自体が楽しくて仕方ありませんでした。
そこから成長すると、次はできる物自体の品質を上げていくことが楽しくて仕方なくなります。
で、最終的には作り方を色々と考えていったりします。おそらく、ほぼ全てのプログラマがこういう段階を踏んでいくでしょう。
その道程は経験してきたことだし、これから経験する人も沢山いると思います。
でも、忘れちゃいけないのはプログラミングって作業は、「目的」があってやるもんです。言い換えると、目的が達成できさえすれば「作り方」なんてのはどうでもいいんです。
こういう話って色んなところで繰り返しなされてると思いますが、今現在の私の素直な気持ちとしてチラシの裏代わりに書いておきます。
どうやら、まとめサイトができたようです。私もリンクされてたので気付きました。まだ読んでないリンク先もあるので、後で読んでみようと思います。ちょっと見た感じでは、私の疑問に答えてくれてる(というか話題にすら上ってない感じ)ところは見当たりませんでした。
最後ですが、これは慈善運動ではありません。
国際協力機構 (JICA)理事長の緒方貞子さんは、日経新聞(平成17年8月26日朝刊)の取材に以下のように答えています。「人道援助は慈善ではない。あなたは私を 必要としているし、私もあなたが必要ですという、人と人との共存意識に発するものです。」これは、まさに今回のキャンペーンが訴えていることなのです。遠 い国のかわいそうな人のために何かをしよう、というところから一歩進んで、貧困問題を作り出している構造の問題を知り、理解し、それを解決するためにでき ることを考えて、行動に移していくことが重要だと考えています。そして、貧困問題は遠い世界で起きていることでなく、自分が身を置く世界の中で起こってい るのだということを再確認し、私たち自身が貧困に加担しない生活を送っていくことも求められているのです。
日々成長していく「ほっとけない」サイトです。前は見るところなどないぐらい簡単なページだったのですが、最近は成長しまくりです。
というわけで、またもやホワイトバンドネタになるわけですが、今回のホワイトバンドキャンペーンの目的は「貧困問題解決への行動」とのことです。そのための構造問題の伝達であり、問題解決を考えるために理解していくということが必要とのことです。
ホワイトバンドを装着することは、今回のキャンペーンの目的である「貧困問題解決への行動」の一つであるわけですが、では、ホワイトバンドを装着してる方々が死ぬほどの貧困にいたるまでの構造問題を知識として得ており、理解しているかというと、かなり疑問符がつきます。
こういった状況になってから言っても遅いのでしょうが、もっと早くから情報を提供することとか、ホワイトバンドと一緒にパンフレットをつけるとか必要だったんんじゃないでしょうか。というか、「理解しないと装着したら駄目」というぐらいの制約をつけないと駄目なんじゃないですか。じゃないと、具体的には「税率がアップしますよ」ってことを理解してない人が多いと思います。
どっかの機関がホワイトバンドつけてる人に突撃インタビューしてくれないかなぁ。「貧困なくすためには、いくらぐらい税率アップしていいですか?」って感じで。
すんごいアクセスがありました。テクノラティ経由で。1日30ぐらいしかアクセスのないしょぼブログなのですが、200越えアクセスがあってびっくりです。
でも、しょぼブログが私の記事に言及すらせずに、同じ内容の記事だからってトラックバックしてきたので、しっかり削除してやりました。やれやれ。
以前にもホワイトバンドネタは書いたのですが、もう一度ホワイトバンドについて考えてみたいと思います。というのも、テクノラティの「過去12時間で最も検索された話題」では、既に1週間ぐらい「ホワイトバンド 詐欺」というキーワードが1位になっていることから、もう一度考え直してみる必要があるんじゃないかと思いました。
とりあえず、公式ページからポイントをいくつくか抜き出してみます。
ここまでまとめて、では実際にGDP比0.7%とはいくらぐらいなのかを計算してみました。そもそも現在のGDPはいくらぐらいあるかというのが分からないので、ここから情報を引っ張ってくると2003年度で約501兆円あるということが分かります。これの0.7%となると、501x0.007=3.5兆円ということになります。
では、現在のODAの総額はいくらなのでしょうか?丁度2003年度のをここで発見しました。抜き出してみると、約1兆円ほどをODAとして使用しているようです。つまり、現状で2.5兆円ほど足りません。
ご存知のとおり、日本は税収が40兆円ほどしかないのに、借金が750兆円を超えるという大赤字国です。この国家財政の中、新たにODAにお金を使うということは、税収をアップさせるしか方法がありません。ということは、単純に考えて後2.5兆円ほど税収をアップするというなので、6.5%近くも税収がアップするということです。
当然ですが、この税金を払うのは日本国民なのです。やっぱり納得できないなぁ。ここまで説明してから「賛同」を得るようにしないと「詐欺」と言われても仕方ないと思います。
久しぶりにJAVAでプログラムを作成中。趣味グラム自体が久しぶりな気がします。
#前作りかけたのは、作りかけのまま放置してるし。
今回はブログに画像をアップロードする専用ツール。JAVA自体の画像処理に色々問題があるので、作業は遅々として進みません。ちょっと大きなJPEGを読み込んで保存するだけで、もう次からメモリ違反の例外が発生してしまいます。原因を調査してみたけど、ちょっと複雑そうです。しょんぼり。
というわけで、バグ修正はほっといて、画像処理を色々組み込みたいです。今は、縮小処理ぐらいしかありませんが…。エンボス加工とか、グレー画像処理とか色々入れてみたい。
「引用した出典元をblockquote要素のcite属性で書いていたら、出典元を明記したことになるのか?」という話題が出てます。
この問題の発端はW3Cで引用元を明確に記述するために、引用要素であるblockquote要素にcite属性を入れると決定したことにあります。当然、全てのHTMLブラウザがblockquote要素のcite属性を引用元として画面に表示してくれるとは限りません。(一般的にはHTMLはHTMLブラウザを通して閲覧すると考えてます。)
つまり、閲覧する人によっては、出典元が分からないケースがあるということです。(ここ大事)
発端はW3Cの決定だけではありません。著作権法では引用として認められる範囲は記述されていますが、引用時に必須とされている出典元の書き方を規定していません。このことも今回の問題の原因となります。(規定してないというか、想定してなかったんじゃないかと思います。明示と言ったら、人に見えるように書くというのが当然だったのでしょう。)
上記の二つの事柄を今回のケースに当てはめてみると、出典元の書き方は規定されてないため、W3Cで規定されてるcite属性で書こうが、W3Cでは規定されてないけど人間が見て判断できる a(アンカー)要素のhref属性で記述しようが、どちらでも構わないということになります。
W3Cの言う事が非常に大事だと考えれば、W3Cが決めた書き方のみを正しいとする極W3C派が出てくるのも仕方ないでしょう。
ただ、私がどうしても理解できないのは、W3Cが言うことが全てだとどうして言い切れるのかってことです。今回問題となってるのは「著作権法」であり、著作権法を使って人を裁く機関は裁判所です。W3Cが裁くわけじゃありません。裁判所はW3Cとは別の機関になるわけですから、「W3Cが正しい言ってるから、正しいよ!」ってのが裁判所でも通用する根拠に乏しいと思うんです。
更に、「明示」という言葉について考えてみたいと思います。私は単なる一般人なので、法的な判断は違うかもしれないと先に付け加えておきますが、閲覧する人によっては出典元が分からないケースがある状態を「明示」しているとは言えません。
確かに、W3Cの勧告によればcite属性はblockquote要素の出典元と規定されていますが、「文章を読む」のは人間なんです。その人間のうち、一部の人が確認できない状態というのは明示したことにはなりません。
しかし、こういう問題が発生してくると著作権法の引用規定に何らかの規定を追加しないといけません。明示の仕方とか、明示する対象(対象は人である、対象はプログラムを含むなど)とかをきちんと規定しちゃえば、きっと問題は出なくなるのでしょう。
第44回衆議院議員総選挙における選挙啓発について
http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/050817_2.html
資料がPDFなので画面コピーを貼り付けました。
今回の選挙は20代、30代の投票率が注目されていました。そんな中、全体の投票率は 投票率、67.51%に・小選挙区 だったそうです。
まだ年代別の投票率は出ていませんが、今回も若い世代は投票率は低いままなのでしょうか?だとすると、一番大事にされるのは、直ぐに年金や健康保険といった公的保障を必要とする世代であり、それらの世代を支えていく世代がないがしろにされたままになってしまいます。
今回の世代別投票率に注目していきたいと思います。
しかし、なんでこんなに低いんだろう。日本という国に、今後一番長い期間関わっていかないといけない世代なのに、何故か一番感心が薄いんです。どうやって自分たちの権利を主張していくつもりなんでしょうか…。
昨日書いた記事はRSSを悪用した例になるのだが、こういった例が出るということは、RSSというメタデータを提供するという意味をきちんと考えておかないといけない。
メタデータを提供するということは、そのデータをどのように表現して閲覧しても閲覧者の自由ということである。
それが例えばRSSリーダーを利用して閲覧したり、XMLの生の表示で閲覧したり、ある人が自分が興味持った記事を集めて自分のブログに投稿して閲覧することも自由ということだ。(それを公開するのは、また別の問題)
そこで考えるのは、RSSという形式でなんでもデータを出せば良いってものではない。更新情報だけが欲しいなら、更新情報だけを出せば良い。つまり、コントロールできなきゃいけないのだ。
そういう観点から考えると、今のブログサービスではRSSに含める項目を選択するという機能が欠けている。それどころか、RSSを提供するかしないかという選択すらない。この状況下においては、何を提供するのかを文章を書いた著作権者がコントロールできないのだ。これはおかしい。そのうち修正されていくのかなぁ。
以前ApacheのRewriteMapでprgモードを使ったという話を書いたのですが、元々はdbmモードを使いたかったのに、dbmモードだと正常にRewrite動作させられなかったので断念したという経緯があって、やむを得ずprgモードを利用していました。
んで、RewriteMapでprgモードを利用する場合、RewriteLockディレクティブをhttpd.confで指定しておかないといけません。でないと、複数起動したhttpdプロセスが同時にプログラムにアクセスして、全然違うRewrite結果を得てしまうという現象が発生します。
ですが、このRewriteLockの仕様がしょぼくて、内部的にはセマフォを使ってるのですがセマフォの作り方が「常に新しい名前で作成」なんです。
つまり、httpdが異常終了したときにセマフォオブジェクトが新しい名前で作成されてしまい、生き残ったhttpdとのロック機能が正常に働かなくなり、全然違うRewrite結果を出してしまうという現象が発生しました。
この現象から分かったことは、RewriteLockを使ったままでは異常時の再起動で使い物にならなくということです。そこで、もう一度dbmモードに挑戦することになりました。
dbmモードの作成に関しては、別の人にお願いしてる状態なのですが、やっぱり上手く行かないようです。仕様を探すのですが、Web上では発見することができません。仕方なくmod_rewrite.cを読むと、隠れ仕様が見つかりました。
dbmにはいくつかのdbタイプがあるのですが、mod_rewriteの仕様書ではdbmモードではdbタイプはndbmを使って、httpd.conf内では以下のような書き方をしろとなっています。
RewriteMap <map名> dbm:<path>
例)
RewriteMap hoge dbm:/path/hoge.db
ですが、ソースを読むとdbタイプはGDBM、SDBM、NDBM、DBの4つのタイプから選択できるようになってました。(apr_dbm.c内で発見)
dbタイプの指定の仕方は以下のとおりです。
RewriteMap <map名> dbm=<dbタイプ>:<path>
例)
RewriteMap hoge dbm=GDBM:/path/hoge.db
ちなみに、dbタイプを指定しなかった場合、defaultのdbタイプが使われるのですが、このデフォルトのdbタイプとはどのdbの事を指すのかというのもソースを覗き見ないと分かりませんでした。詳しく知りたい人はapr_dbm.cを見たら分かるのですが、私が見た感想としては「指定して置いた方が無難」です。(指定しなかった場合、Apacheのコンパイル結果に依存します。)
上記の情報は、どこを探しても日本語の情報は無かったので提供しておきます。(英語でも情報は見つからなかったのですが、英語の場合は見つけきれてないだけという可能性大。)
まあ、今回の調査でdbタイプが指定できるので、自分が使い慣れてるdbタイプを使えることが分かりました。こういう情報が欲しいんだよなぁ。サクっと見つかって欲しいのに…。
08/25 奇妙なアフィリエイトブログが流行中?(@Seesaa BLOG)
http://hiro.intlcafe.info/item/1322
前の記事との関連性もありそうです。こういう人達が増えてきてるんですね。しょんぼり。
アマゾンのカスタマーレビューを堂々と転載してるブログが目に付きはじめた。んで、このカスタマーレビューの著作権の条件を読んでみると
Amazon.co.jp 利用規約
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/643006/249-8656219-3160369
お客様がコンテンツの投稿または素材の送信を行った場合、お客様は、Amazon.co.jp とその提携会社に対して、そのようなコンテンツを使用、複製、変更、翻案、公開、翻訳、二次著作物の作成、配布、世界中のメディアに表示できる、非独占的 な、無償の、永続的な、取り消し不可能な、完全なサブライセンスを含む権利を許諾したものとみなします。
というわけで、AmazonだけじゃなくてAmazon提携会社にまで「永続的な」使用の許諾を与えたことになります。んで、Amazonの提携会社というのがどういうことかというと、アマゾンウェブサービスを利用してる人全ても含まれているようです。(ここ、嘘かも。というか全部嘘かも。真実は自分の目で見て判断すること)
つまり、カスタマーレビューをそのままコピペして、まるで自分がレビューを書いたかのように見せかけているブログがあったとしても、著作権に全く問題ないということになります。もちろん、そのレビューには、ブログ管理者のAmazonアソシエイトIDがついてるわけです。つまり、人のレビューをコピペしまくって、ブログ上で稼ぐことが可能なわけです。
この事実に気付いてる人はどのぐらい居るでしょうか?この事実を知ってて、なおレビューを書き続けている人は居るのでしょうか?
確かに、法的には全く問題ない行為です。でも、容認したくはありません。
もし、貴方が素晴らしいレビューを書いたとしたら、そのレビューをコピペしてアフェリエイトで稼ぐ他人が存在する、しかもかなりの数存在します。ベストレビュアなんかになったら、更にコピペされる確率は上がります。
こういうことをする人は、今後もっと増えていくでしょう。無料のレンタルブログを利用して、他人の文章をツールを使って取得し、どんどん記事をアップするだけでお金が手に入るのです。お金も労力もほとんどかかりません。
嫌な世の中になってきました…。
でも、Amazon便利で使っちゃうんですけどね。不買運動しないとなぁ。
日本人とブログと議論
http://lsty.seesaa.net/article/6341815.html
なんか最近、ブログ上での議論についてイロイロ言うのが流行ってるんですか?で、イロイロ読んでて思うのですが、議論について考えてる人って、理想論を語りすぎ。アメリカナイズされすぎ。
そういう「議論に対して正しい価値観を持っている人」が議論をしようとすればするほど、どんどん泥沼化してゆくものだ、と僕は最近思うのです。
という書き出しで始まる記事です。記事のタイトルにブログって言葉が入ってますが、ブログをタイトルに含めなくても良いんじゃないかという内容で、ちょっと残念でした。
そこで、勝手な補足として、何故ブログじゃ議論が難しいのかを書いてみたいと思います。
よって、意見の出し合いにしかなりません。まあ、議論自体が意見の出し合いに過ぎないという話もありますが。
ですが、ご安心ください。実は議論の目的とは意見の出し合いなのです。
それゆえ、私はブログ上でのどのような議論でも、否定する気は全くありません。議論がすれ違ってても結構。最終的に人格攻撃が行われて嫌な気分になっちゃっても結構。匿名にボロカスにけなされても結構(そりゃ憤ったりもしますが)。
色んな考え方を知ることはプラスになります。意見を出し合うこと、自分の意見を他人に理解してもらえるように努力すること、人の意見を聞いたり読んだりすること、これらがあるだけで議論をした意味があるということです。
私も以前一度悩んだことがあります、「議論することに意味はあるのか?」という命題に関してです。これに関して、議論をした直後に意見が議論をした相手と同じ意見になってることは、経験上なかったため、「意味なんかないんじゃないか?」と思ったものでした。
しかし、議論直後ではなくしばらく時間が経った後に、「議論したこと」の意味に気付きます。議論相手の意見のとおりに変化することはなくても、何らかの変化があり、それは成長なのです。
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